要介護5の母と共に|真夜中の悲劇Part7
我が家から大阪のおばあちゃんの家までは、一般道と名神高速道路を利用しておよそ2時間の距離だ。
車内の空気は、暗く沈み薄気味の悪い静寂に包まれていた。だが時折、車のハンドルを握る母のすすり泣く声が聞こえてくる。
今は落ち着いているように見えるが、先ほどの母の取り乱した様子を目の当たりにしていたので、母が長時間ひとりで運転できるのか心配だった。
しかし、3人の中で唯一車を運転できるのは母しかいないので仕方がない。
私は教習所に通っている最中で、運転免許を持ってはいなかったし、父は免許を持ってはいたが運転が出来ない。
私が物心つく前から我が家の車のハンドルは、母が握っていた。したがって、小さい頃の私は、車は母が運転し、父が助手席に乗っているのが当たり前のことであり、免許を持っていながら父が運転をしないことを不思議にも思わなかった。
いや、本当はそのことに触れてはいけないような雰囲気を子供ながら感じ取っていたのかもしれない。
だが突然、私が小学校六年生の時に、その理由を告げられた。
それは、家族4人で初めて冬休みにディズニーランドに行った時だった。
小学生にとって、ディスニーランドは正に夢の国だった。ただただ夢中になって、次から次へとアトラクションを乘りあさっていた。
私と龍也が、新しいアトラクションに乘ろうと先頭を争いながら列の最後尾に並び、すぐ後ろを母、父と並んでいた。徐々に列が前に進むのに合わせて私たち家族も一心不乱に一歩一歩前に進んでいく。
しかし、ちょうど列の中程に差し掛かったところで、後ろに父が並んでいないに母が気付いたのだった・・・
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